サーンキヤと六派哲学というカテゴリー
講義でサーンキヤがとりあげられたのでSāmkhya サーンキヤについて。
六派哲学とは、インド哲学における伝統的な権威たるヴェーダの思想を継承した、六つの哲学思想のことを言います。
サーンキヤはヨーガの姉妹哲学であり、これにミーマーンサーとヴェーダンタ、そしてニヤーヤとヴァイシェーシカをくわえると6つになります。
ところが、この〝六派哲学〟というカテゴリーは、かならずしも古代インド思想における通念ではなかった、というのが実情なようです――コトバンクでも意見が分かれているのが解ります――。
それというのも、サーンキヤ思想の綱要書たる『サーンキヤ・カーリカー』では、冒頭にヴェーダ的な祭式――動物の生贄――を否定していますし、絶対的な一者を想定している点がヴェーダの思想に反するからです。
このあたりのことは、私の知るかぎりでは丸井浩先生の『ジャヤンタ研究』が最も詳しい邦文献です――ほかに片岡啓先生の「宗教の起源と展開」、古いものだと『世界の名著Ⅰ』――おそらく服部正昭先生が書いたと思われる解説(P35)、村上真完先生の『サーンクヤ哲学研究 インド哲学における自我観』(P647)など――。
丸井浩先生の『ジャヤンタ研究』によると、六派哲学というカテゴリーは中世の仏教抒情詩に存在が確認されるらしいので、まったく根拠がないわけでもないみたいです。
ちなみに、バッタ・ジャヤンタはちゃんとサーンキヤをヴェーダの非正当思想に位置づけています。
サーンキヤ思想と一口に言っても、時代によって思想の中身は異なっていた筈です。
仏教だって、色々ですから。一口に「仏教の考えでは・・・」と言えることは、案外限られてくるでしょう。
なので、『サーンキヤ・カーリカー』が制作された5Cのサーンキヤが反ヴェーダ的であったとしても、もっと古い時代のサーンキヤではヴェーダの思想を肯定していたかもしれません。
特に初期のサーンキヤは実態が不明です。
『サーンキヤ・カーリカー』は私が人生で最初に読んだ論書なので、多少なりとも思い入れがあります。
直近の授業の感想も含めて、しばらくはサーンキヤ関連の投稿をしてみようかな、と思っています。